市の公式な広報ツールである市政ニュースで、選挙のめいすいくん」が『政治家は「国民の代表」ではなく、「投票した人」の代表に過ぎないんだよ。』と。憲法第43条「両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する。」に反することを言ってたので、そういう認識があるかについて広報課が属する政策局に答弁をもとめたんですが、市長自ら答弁しました。
市政ニュース


打ち合わせの際に選挙管理委員会の課長に指摘したときには、憲法に反する表現だと即答で認めてたんですが、市長は円周率や独自の政治学を長々と語り、反していることを認めませんでした。

国会議員は「すべての選挙区の人を含めた全国民の代表」であり、特定の「選挙民や団体の代表」ではないというのが、一般的な解釈でしょう。憲法第99条では「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」となっています。つまり、憲法を尊重し養護する義務が市長を含む公務員(議員も特別職なので含む)にはあるのですが、法律解釈でなく独自の政治学に基づいて憲法を否定。憲法を尊重していると感じられません。

「政治家は国民の代表ではなく投票した人の代表にすぎない」を言い換えれば、「投票した人の代表である政治家であっても、国民の代表として正当性が担保されるというルールなのですよ」と言われても、そこに至るのに長すぎる説明ですし、伝えたい趣旨は理解できなくないですが、市の公式な媒体である以上、誤解を生むような表現、まして憲法に反する表現は控えるべきです。

以下答弁の原稿です。

【質問】
6/25日の市政ニュースの1面です。まず、左上ですが、東京か西宮で号泣した方をイメージしているのかどうかわかりませんが、「謝罪会見をしている政治家を選んだのは?」という質問に対して、「投票したい候補者がいないときは、「より、悪くない人」に投票しよう!そして、その繰り返しで少しずつ政治を良くしていこう!」と『選挙のめいすいくん』が言ってます。これは捉え方によっては、政治家は悪い人ばかりだから、その中からより悪くない人を選ぶものだよといった間違った投票行動につながりかねない表現です。しかし、「少しでも考え方が近い候補者を選ぼう」という趣旨を伝えようとした結果、こういう表現になったことは一定、理解できなくはないです。

一方、右下では「めいすいくん」がこんなこと言ってます。「政治家は国民の代表ではなく、「投票した人」の代表に過ぎないんだよ」と。 私がこれまでの一般質問や議会・委員会での発言を聞く限り、この議場に、そんな気持ちで市議会議員として働いている議員はいないと確信していますし、何よりも、これは「両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する」という憲法第43条に反する表現です。市の公式な広報物で、日本国憲法第43条に反する表現が掲載されているという認識をお持ちですか。選挙管理委員会と政策局それぞれに答弁を求めます。


【答弁 選挙管理委員会】

憲法第43条で 「両議院は、全国民を代表する選挙された議員で これを組織する。」と規定されておりますとおり、国政選挙で選ばれた政治家は、「国民の代表」であることに間違いございません。
西宮市では、近年、国政選挙・地方選挙を問わず、 投票率が低下しており、 なかんずく若年層の投票率が低い現状にあることから、 18歳をはじめとした新有権者をターゲットに、 このたび選挙啓発記事を1面に掲載していただきました。 

「投票に行かなければ、 あなたの意見は政治に届かないよ」 とのメッセージをお伝えすることで、投票を促すために、 記事の制作を広報課に依頼したものでございます。 若年層に訴えたいとの思いから 作成したものでございます。
 
<答弁・市長>
 結論から申しあげますと、憲法に反する表現ではございません。
 確かに、憲法43条は、両議院の議員を全国民の代表としております。また、私を含む選挙で選ばれた政治家は、投票した人の代表ではなく、市民全体・国民全体の代表として振る舞うべきですし、市民全体・国民全体の代表であると扱われるべきであると考えます。
 しかし、一方の市民・国民、ないしは有権者、ないしは投票者にとっては、「政治家は国民の代表ではなく投票した人の代表にすぎない」ということは論理的に誤謬であるとは言い切れません
 なお、この場合の投票した人の中には、当然、落選者を選んだ人も含まれます。

 民主主義において政治家は、投票の結果を最も正確な民意として判断するべきです。選挙結果こそは、ありとあらゆる「民意の具現」のなかで、最も公正で平等で公式のものであるからして、それこそを民意とするにはあらゆる正当性があります。
 その意味において、投票に参加しなかった人は、政治家が最も公正な判断材料にすべきものに参加していないことから、政治家に「代表」としての行動を期待する権利を放棄したことになってしまいます。その意味において、彼は政治家に「私の代表」と言える権利を放棄してしまったことになります。
 つまり、「選挙で選ばれた人であっても、投票しなかった人にとっては代表ではない」と言えてしまいます。

 民主主義において何を民意とするか、代議制民主主義において何を代表とするのか・もしくは代表を何の代表とみなすのかは、政治学においてたいへん重要な議論です。なぜなら、完全に民意といえるもの・正確に代表といえるものは存在し得えないからです。そのため、何かをもって民意としてよいか、何かをもって代表としてよいか、それを何らかで定義してその定義を共有することによって、民主主義を正当化することができます。円周率は正確には3.14ではないが「3.14とする」と先に定義することによって以降の計算を可能にするようなものです。
 代議制民主主義の政治制度において、「完全に正確な民意・完全に正当な代表」は存在し得ないため、必ずどこかで「何をもって民意とするのか・代表とするのか」を改めて定義する必要があるのです。現に、全国区以外の国会議員選挙では、選挙区から選ばれた「選挙区住民の選んだ代表」を「全国民の代表」とみなしております。「選挙区住民の選んだ代表」も「選挙に投票にいった有権者が選んだ代表」も、「全国民の代表」とみなすことについて、憲法その他の法令で規定することによって、日本の政治は民主的正当性を担保されています。
 このように、もちろん憲法上、政治家は「国民の代表」と定義され・正当性を担保されますし、そうでなければ国会での議論の正当性が担保されません。しかし、政治学における議論では、どこまでいっても政治家は「選挙に投票にいった有権者が選んだ代表」です。
 それを「全国民の代表」とするのは、その次の、定義の段階、運用の段階の議論です。
 これらの議論は、政治学的には一般的に議論されていることですので、憲法に反する記述である、ないしは誤謬であるという認識はございません

 市政ニュースのこの記事の読者は市民全体であり、その読者のなかには選挙で選ばれた政治家や選挙に候補者として参加した経験のある人もある、という意味においては、一見、憲法43条の規定と矛盾するかのような「政治家は国民の代表ではなく投票した人の代表にすぎない」という記述に違和感をもつ人がいるだろうことは一定認めますし、渡辺議員ご指摘のこの議場にいる市議会議員の皆様はすべて、一部の市民ではなく市民全体の代表として正当性をじゅうぶんに定義されていますし、その矜恃をもって活動していることには敬意を払うものです。

 しかし、この記事の対象は、あきらかに「投票する側の人」であり、そのなかでもターゲットは「投票する権利をしばしば放棄する人」であり、「そのなかの若い人」や「今回の選挙で初めて選挙権を得た18歳・19歳の有権者たち」です。その対象者の立場に立てば、その記述は論理的に誤謬ではありません。「政治家は国民の代表ではなく投票した人の代表にすぎない」は、言い換えるなら、「投票した人の代表である政治家であっても、国民の代表として正当性が担保されるというルールなのですよ」とも言えます
 記事の目的は、あらゆる論理で投票に行くことの意義や責任や正当性を訴えることであり、不適切であるという認識はありません。

 むしろこのように話題としていただいたことは、啓発上、大変ありがたく思っており、すべての西宮市民の皆様には、全国民を代表する参議院議員の選挙で、投票に行っていただきたいと思っております。

<続く・・・>